芭蕉 平泉編


高館義経堂 芭蕉句碑「夏草や 兵どもが 夢の跡」

三代の栄躍一睡の中にして、大門跡は一里こなたにあり秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。まづ高館に登れば、北上川、南部より流るる大河なり。衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡が旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり。さても、義臣すぐってこの城にこもり、巧名一時の叢となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。」
「夏草や 兵どもが夢の跡」
かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散り失せて、玉の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、すでに頽廃空虚の叢となるべきを、4面新たに囲みて、甍を覆い手風雨を凌ぎ、しばらく千歳の記念とはなれり。
「五月雨の 降り残してや 光り堂」
                       ―おくの細道原文より―

先日、久しぶりの散策をしてみた。散歩堂は、以前より、歩きやすく整備されていた。天候が良かったせいか、みちのくロマンを求めて観光に訪れる人も多い。

この高館義経堂(地元では、判管館と呼ばれている)に登ると、芭蕉の句碑がある。眺望は、蛇行する北上川そして束稲山が広がり、北方には、衣川陳場山の古戦場が見渡せる絶景である。
だれをも詩人にさせる丘に違いないと思う位芭蕉気分させられる。

近年、この北上川は、度重なる田園冠水のため、北上川治水工事がなされ、現在の高館橋は、旧高館橋より少し南に位置して架け換えられている。

1689年、陰暦5月、俳人芭蕉と門人曽良がこの高館に立っていた。
そこいっぱいに乱れ茂っている夏草に感慨目を注いだにちがいありせん。

義経主従の戦死と藤原三代の栄華が夢のごとく滅びてしまったはかなさを、この句に凝縮し「感慨と懐古」のことばを詠んだのである。

奥州藤原氏滅亡から500年後のことである。

そして、中尊寺参堂を登り、中尊寺本堂、金色堂を訪れる。

一解によれば、幾百年の風雨を凌いで、しばらく栄華のの昔を語っている光堂に歴史的な詠嘆の情と失われた文化への限りない哀惜の情を込めた詩であるとされている。

平泉の歴史と文化が、この二つの句に凝縮され、滅んでもなお、みちのくロマンをかきたてているのです。






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