藤原氏の繁栄を支えた経済基盤の謎


奥州藤原文化は、初代清衡、二代基衡、三代泰衡のおよそ九十年にわたって完成された。

一般的に京文化の模倣として見られている。しかし、単なる模倣に終わらせなかった素晴らしさ、凄さがあります。

少なくとも、十二世紀当時の日本で、平泉以外の質の高い文化をもった地方都市は大宰府くらいしかないと専門家はいいます。しかし、その大宰府は、国家的機関としての都市であり国際的貿易港として栄えていた。一地方の在地勢力によって築かれた点が大きな特徴であるといいます。

仏教信仰に裏付けされた文化と巨大な経済力を背景すとる具象化され、美術工芸の粋が結集された「金色堂」を見るにつけ、改めて驚嘆します。数多くの堂塔はことごとく消失し、度々の災害があったにも関わらず、金色堂のみ現存する事は、まさに奇跡的といえます。

いえいえ、各種工芸品は、金色堂だけではありません。中尊寺を中心に数多く残されています。清衡の「金銀字交書一切経」を筆頭に、秀衡の「紺紙金字一切経」、基衡・秀衡の「紺紙金字法華経」(全て国宝に指定されています)等他多数の工芸品、多数の仏像彫刻、日本を代表とする庭園など、その素晴らしさ、凄さは「百聞は一見にしかず」です。

当時の仏教思想が、建物、仏具はもちろんの事、仏自身がきん然と金色に輝く阿弥陀浄土の世界を、地上極楽として表そうとした奈良東大寺の大仏を代表とされます。

そうした背景があったからこそ、中尊寺金色堂に代表される東北の黄金文化は、藤原氏繁栄の礎えでもあったと同時に、京の文化を支え、流通機構や金輸送団の武装化も促進したと言います。

しかるに、その背景にある私達の最大の関心事である「産金システム」のルーツについては―金売吉次伝説の項で若干触れましたが―奈良東大寺大仏造営の最中、仏身にメッキする金が不足し、聖武天皇をはじめ群臣らの憂慮している時に、陸奥国から黄金九〇〇両が献上され、天皇以下を驚喜させ、国家の一大慶事として―大赦、年号改元、租税の免除等―祝福され、金の産出国として浮上します。

しかし、実際にはこれは日本最初の産金ではなかった。

「続記」では大宝元年(701年)に「使を陸奥に遣わし金を治へしむ」と伝えている。この時期既に、新羅系帰化人(しらぎけいきかじん)の技術者を派遣して精錬させているという、作家の丸太淳一氏の説を見てみましょう。

聖武天皇の国運の盛衰をかけた大仏建立に貢献した陸奥国守百済王敬福。
陸奥に派遣されている帰化系技術者のプロジェクトチームが採金事業を軌道に乗せ、聖武天皇の黄金の軌跡を演じたとしています。

そして、十世紀後半に、日宗貿易が盛んになり、黄金が日本の重要な輸出品になり、再び金の需要が急増します。天平産金後、多賀城以北は、中央権力の経営の下に産出されてきた。
この産金構造をそのまま受け継いだのが藤原氏です。

寛治元年(1087年)、後三年の役が終わった後、古代からの産金システムを掌握し、陸奥貢金を管理し、積極的に砂金採取を進め、新たなゴールドラッシュが始まります。

宗からの輸入品は、銅銭、絹織物、木綿、陶磁器、仏像、仏典などの書籍、書画等である。平安期の貴族文化を支えのも東北の黄金だったと述べています。

藤原氏は、中央の貴族や寺院に大量の金を贈与・寄進した。そして金色堂建立におびただしい黄金を費やしている。莫大な量の砂金が必要だったであろう。だからこそ、藤原四代の繁栄の基礎に「陸奥の黄金」があると言われている。果たしてそうだろうか?

大規模な砂金採取は、極めて多くの労働力と大量の食料その他を必要とされる。生産される黄金は、「ぜいたく品」の購入に消費されるだけで、東北の「富」の再生産には繋がらない。藤原氏が黄金にこだわればこだわるほど奥羽は疲弊していく。

藤原王国に果たした黄金の役割、その供給先については、いま少し考えてみる必要がある、と述べます。


そして続く、同氏の説によると、藤原四代の経済力の根底として、黄金と並んで名高いのが「馬」であることを述べています。

東北の駿馬も金と同じ頃から中央に知られていた。

「扶桑略記」によると、養老二年(718年)出羽と渡り島の蝦夷87人が「馬千疋」を貢上して、位禄を授けられている。その後も天平五年(733年)に、出羽国から「御馬五疋」が、翌年には陸奥国から「御馬四匹」が進呈されるなど、奥羽の駿馬は広く知られるようになる。

そして、陸奥国では、安倍氏が台頭してきた十世紀後半から、国の正税をもって交易、入手して、毎年二十匹を京に送る「陸奥交易場」「陸奥貢馬」の制度が始められる。
馬を税として徴収するのではなく、買い入れる制度である。

この陸奥交易制度の確立を、古代東北の自立への動きの始まるとみる説が、最近有力になってきている。それが藤原氏にまで受け継がれて「東北王国」として結実します。

実際、当時の主要な馬産地は、古代の「日本」の北の果てである奥六群のさらに外、糠部(ぬかぶ)や津軽(現在の岩手県北部から青森県東部にかけての広大な地域)であった。
中でも、糠部産の駿馬は、武士にとっても垂涎(すいぜん)の的だったという。

そして、この時代、馬の生産はそのまま武力の養育にもつながったといいます。


更に注目される点として、東北王国の≪力≫の源泉として注目されるのが「鉄」・武器の生産であると同氏は説明します。

東北では、糠部の馬牧に<細工>といわれる金属の工人が住んでいた。そして、かつての糠部郡内の岩手県久慈市内や九戸郡内に日本でも最大級の砂鉄床が存在することも知られている。

最近、これらの山間部に八世紀を中心とする大規模な集落郡が発見され、製鉄と関連があるのではないかと、考えられるにいたっていると述べます。

その鉄は、言うまでもなく武器と結びつきます。

北上川流域に非常に多く出土する柄の先がワラビにように丸まっている蕨手刀は<騎馬戦用>として発明されたといわれる。そしてさらに先に生まれたのが藤原時代の舞草刀という。

平泉近くの舞草刀は「日本刀発祥の地」ともいわれ、藤原四代の武器工房の一つと考えられています。

その舞草鍛冶跡といわれる場所が、現在、一関舞川大平(旧舞草村)の舞草山、通称観音山の山中に残っています。観音山は標高約三二五M。北上川を挟んで、丁度平泉の対岸にあります。

言い伝えによると、前九年の役の頃、源頼義が京から刀鍛冶を大量に召し連れ、近くの砂鉄川から取れる砂鉄を利用して、刀を作らせたのが始まりとされる。そして、その子孫たちは三代秀衡の頃まで平泉近辺に住み、鍛冶舞草はあたかも奥州産刀のメッカのような趣を呈していたと言います。そして、ここで作られる刀は、「舞草刀」と称し、鎌倉から室町期にかけて、武士たちの間に珍重されたといいます。

この舞草刀について、「義経記」伝えるところのエピソードがあります。

義経配下の佐藤忠信が上方で切腹した時のことである。

「あはれ刀や、舞房に誂へて、よくよく作ると云ひたりし効あり。腹を切るに少しも物のさわる様にもなきものかな。此刀を捨てたらば、屍に添えて東国まで取られんず。若き者どもに良き方、悪しき刀など言はれん事も由なし。黄泉まで持つべき」と叫び、その刀を腹の中におさめ、別の刀の切っ先を口に含んでうつ伏せに倒れ、自害して果てたという。

恐ろしいばかりの切れ味の様相である。この舞草刀も、駿馬同様、武士が千金にかえても購いたがった陸奥の特産品でした。

昭和二十五年に、藤原氏の遺体調査が行われた時の事ですが、初代清衡棺の中から発見された太刀が、藤原氏全盛当時の舞草刀と推定されています。

伝承されていた舞草鍛冶所在については、昭和四十二年、観音山の一角である白山岳の山中から鉱滓(鉱石を精錬するときのカスをいいます)が発見され、発掘調査の結果、観音山と白山岳の平坦地に、昔、鉄を溶かすのに使用したと見られるタタラ跡が発見されたことによって所在地が確認されています。

再び、丸太氏の説に戻ります。

古代東北の名馬は「北の海みち」を通って渡来したという。

東北アジアのツングース系の騎馬民族の馬が、沿海州からサハリン、北海道を経由し、津軽海峡を渡って、本州北部に上陸した。

ツングース系の騎馬民族である、靺鞨(まっかつ)や渤海(ぼっかい)とは、早くから中央とは関係なく日本海ルートによって、交易のみならず人的交流も行われている。

その一つのピークに達するのが藤原時代であるという。

天治三年(1126年)藤原清衡は中尊寺供養願文に言う。

「出羽・陸奥の土俗、風に従う草の如く、粛槙・把婁の海蛮、陽に向かう葵のごとし」とその影響力を誇る。粛槙・把婁とは大陸の沿海州辺りを指します。奥州藤原氏は、海の彼方の海蛮をその支配下におさめていることを自認していたのだ。

そしてこの時代、東北の鉄はサハリンまで供給されていたとしています。
とすれば、この鉄が大陸の名馬と交易されたであろう。さらには、藤原四代の費やした膨大な量の黄金も、そのかなりの部分が交易によって北方からもたらされたものではないだろうか?

藤原四代を支えた経済力については、まだまだ謎が多い。

その基盤を「日本国」との境界を越えた外とにまたがっておき、様々な形で大陸とも繋がっていたからだ・・・・

作家の丸太氏の説を一部抜粋して、藤原氏繁栄の謎に迫ってみました。

私達素人には、ついつい、想像を大きくしてしまうクセがあります。伝承「柳之御所跡」の発掘調査によって、中国産磁器、陶器等の舶来品が多く出土しております。
藤原氏の大陸との独自の交易も、それを裏付けていいるにちがいありません。




(史料:日本の歴史・岩手県の歴史散歩・義経記・平泉文化・丸太淳一氏の見解一部抜粋)






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