毛越寺(1)―浄土庭園


毛越寺 南大門跡 毛越寺 浄土庭園(大泉ケ池)
毛越寺本堂脇の南大門跡に立つと、眼前に美しい庭園が広がる。
ここが大泉ケ池である。

庭園の周囲や、かつての堂跡には、杉や松がこんもりと茂らせている。

極楽浄土を絵画化した浄土曼荼羅の構図をそのまま境内の地割に移したとされる浄土庭園である。

この大泉ケ池は、850年以上も、その典型的な浄土庭園の遺構を現代まで、ほぼ完全な状態で保存され、全国的にも唯一のものとされています。
毛越寺庭園は、国の特別史跡、特別名称に二重指定されている所以である。

浅瀬の水面に、春には池辺の桜を映し出し、夏は緑を、秋は紅葉を、冬の雪景色の風情も十二分に訪れる人々の心を和ませている。

池の周囲は、玉石護岸によって固めれているが、これが、池の地割を現在まで保全しえた大きな理由の一つとなっている。
南大門の対岸(北側)には、かつてこの水の取り入れ口となっていた遣り水の石組みがのこっています。

現在、池の水は、近くの流れる農業用水路から引き、池の西側から取り入れて東南の水門に落としていると言われる。昔は、庭園の東北方にある弁天池から引いて北岸の遣り水から取り入れ、池の西南隅からその南にある谷に落としていた。
 
このような東北方から西南に流す、水の流し方は、平安時代の寝殿造りの庭園の特徴であるという。

平安時代の我が国最古の作庭指導書といわれる「作庭記」には、

「四神相応の地をえらぶ時左より水ながれたる青竜の地とす かるかゆへに遣水をも 殿舎もしは寝殿の東より出て 南へむかへて 西へ流れへき也 北より出ても東へまわして 南西へながすへき也」とあり、毛越寺庭園は「作庭記」の基本を忠実に取り入れたことが伺えます。

かつて、池面には、広大でりっぱな円隆寺、嘉祥寺の構えをくっきりと映し出し、藤原氏一族が、四季折々、歌舞音楽を奏で、舟遊びを楽しんでいた。
京の平安文化そのもののを、この地に移し変えた光景が映し出されます。



(史料:日本の歴史・岩手県の歴史散歩・作庭記・平泉今昔)






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