遠の朝廷(とおのみかど)国府多賀城(1) |
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多賀城跡 政庁解説図 |
多賀城跡 全体図 |
多賀城は、奈良・平安の時代『遠の朝廷』と呼ばれた東北の中心地でした。 アクセスはJR国府多賀城駅を下車し、北西の方向に位置し南門には、「壷の石碑」「芭蕉句碑」そして更に北へ500M位所に「多賀城政庁跡」があります。周辺南側付近は、「東北歴史博物館」、「多賀城廃寺跡」があります。 ここ多賀城跡は、江戸時代から注目されていたが、本格的な発掘調査に鍬入れされたのは、昭和三十八年からだといわれています。それ以来、今でも調査は続行中です。 多賀城は、陸奥国衙(国の役所)であって国司が常駐していました。また、他国と違って令外(りょうげ)の官(令に規定されていない官職をいう)として、陸奥出羽按察使(あぜち)と鎮官という官職も設けられていた。 陸奥出羽按察使は、陸奥・出羽両国を国主よりも大きな権限をもって統括する行政官をいいます。九世紀前半には実質的な意味を持たなくなります。 鎮官は、鎮守府将軍以下の武官で、多賀城が創建された720年代に置かれた。延暦二一年(802年)には、胆沢城の造営に伴なって同城に移り周辺の奥郡を支配する行政、軍事の府に変化します。 多賀城の創建年代を記している史料は、唯一多賀城碑(壷の碑)だけである。丁度私が立っている場所が南門跡になっており、この場所に建っており、現在は覆い堂の中にひっそりと佇んでいます。 それによると神亀元年(724年)に建置したと記されています。(おそらく工事完成の年次と見るべきと思う) 日本三古碑の「壷の碑」(多賀城碑)の隣近くに「芭蕉句碑」が建てられています。アクセスは、JR国府多賀城駅下車し北側に向かい徒歩で500M位のところに位置しています。 この碑文には、多賀城の創建年月の他、平城京や各国境からの距離と、修造にかんする記事などが刻まれています。一時、歌枕「壷の碑」との関連性がないことから論争が巻き起こりますが、近年多賀城研究所跡地調査によって奈良時代に建立された真碑であることが確認され、平成10年に国の重要文化財に指定されています。 この小高い丘から、東方向に松島湾、西から南にかけて仙台平野が開け、北方向にはみちのく山河を見ることができます。 石段を登りながら、悠久の歴史の流れる風に誘われて万葉街道に思いを馳せます この跡地の規模は、周囲4KMに及ぶといわれ、丘陵上の平坦地に諸施設の跡地を見ることが出来ます。東北の古代城柵の中では、紫波城(盛岡市大田 803年建造)と並ぶ最大の規模といわれています。 この跡地を散策するに及んで、周囲の美しい景観が最高です。 なるほど・・・芭蕉が・・・王朝の人々が・・・憧れる!・・・「時を越えた出会い旅」・・・楽しみましょう! 閑静な住宅地を過ぎて、小高い丘の南門、秋風を受けて周囲の展望も見渡せます。 更に石段を上ると多賀城政庁跡が鎮座しております。 |
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